So-net無料ブログ作成
検索選択
長男中学受験 ブログトップ

おぼっちゃま [長男中学受験]

 灘中学に受かったのはよかったのですが、一つ問題がありました。息子の体型です。食べることしか楽しみがなかったのか、前々回に書いた「ママには内緒」のためか、受験までにブクブク太ってしまいました。眼鏡もかけていたこともあって見るからに「おぼっちゃま」のように映りました。当時の写真を今見ると、あまりのカッコ悪さに笑ってしまいます。

 これじゃ、とても女の子にモテません。以前触れたことがありましたが、中学生のうちはしっかり身体を作ってほしい、というのが私と夫の願いでもありました。二人とも中学生の時にスポーツに没頭した経験からも、息子にも運動をしてほしかった。息子本人は、かっこよくなって女の子にモテタイというのが一番の理由だったのかもしれませんが、とにかく痩せるためには運動する必要がありました。

 息子が選んだ部活動はバスケットでした。夫も私もバスケットをしていたので、やっぱり親子だなあと喜んだものです。が、そうではなくて、小学校のとき、友達がみんな放課後ミニバスをしていてとても羨ましかったと。だから中学校に入ったら自分もバスケットをしようと決めていたと。中学受験はこんなところにも影響していたのだと知りました。そんな思いを抱えていたからか、本当に一生懸命にやっていました。チームもあまり強くなかったし、息子もたいして上手くなかったようですが、朝練に早くから出かけたり、夏休みの合宿が何日もあったりと高校生になっても頑張っていました。そして、とりあえず標準の体型には戻ることができました。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

両親の助け [長男中学受験]

 前回、息子の迎えで夫の両親には大変お世話になった、と触れさせてもらいましたが、助けられたのはそれだけではありません。経済面に関しても、正直言って、普通のサラリーマンのお給料では二人の子供を中学から私学へ行かせるには無理がありました。私は地方出身で、当時、私立中学受験がどんなものかも、どれくらいの費用がかかるのかもよく知りませんでした。だからこそ無謀ともいえる挑戦ができたのかもしれません。幸いなことに私の両親も健在で、両方の両親が事あるごとに経済的援助をしてくれました。本当に感謝しています。このことは息子たち(息子と、結局同じ道を進むことになった娘)にも伝えています。今の自分があるのはみんなのおかげということを~。

 灘中に在学するお子たちの父親の多くはお医者さんでした。当然、私どもよりも頭脳もさることながら、経済力の面でも大きな差があります。親の集まりが何度かありましたが、そのたびにカルチャーショックを受けて帰りました。生活の次元が違うのです。息子も自分のまわりとあまりと違う世界にびっくり仰天しながら成長していったようです。

 この費用の件については、息子のN学園にはじまって今に至るまでずっと大変です。私立中学の中では「灘」の授業料は高くないですが、高校の3年間はまた塾に通いましたし、5歳違いの娘の中学受験も重なってきました。この春、息子は研修医になり、ちょっとホッとしていますが、娘のほうはまだしばらく大変です。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

両親が迎えに [長男中学受験]

 小学校四年の途中から十三にあるN学園へ行きだしたのですが、大変だったのは送り迎えでした。行きは私が駅まで車で送っていったのですが、困ったのは帰り、五つ下の娘がいるため、私が迎えに行こうとすれば、娘も一緒に連れていかねばなりません。まだ、娘が小さかったこともあり、簡単なことではありませんでした。

 それを助けてくれたのが夫の両親でした。義父が十三近くに勤めていたこともあり、あえて車で出勤してくれて、息子を家まで送り届けてくれたのです。退職後も自宅(同居ではなかったので)から最寄りの駅まで、時には十三までも息子を迎えに行ってくれたりました。私にとってどれだけ助かったことか。

 これは灘中学に受かった後に聞いたのですが、家に帰る途中、時々ゲームセンターによっていたそうです。両親にすれば、勉強勉強でストレスがたまっている孫に生き抜きをさせたかったのでしょうか。車のトランクにはUFOキャッチャーで手に入れた縫いぐるみがたくさんあったそうです。それから、「ママには内緒」ということでケンタッキーや、マクドナルドに寄ったり、大好物の羊羹やお菓子をもらったりしていたようです。というのも、細すぎるくらいだった子が急に太ってきたので、私が食べ物にうるさくなっていたのです。息子は上手に自分の欲求を満たしていたのでしょう。中学校受験の厳しい日々を、わりに大らかに乗り切れた秘訣は案外こんなところにあったのかもしれません。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

数字に魅せられて [長男中学受験]

 幼稚園に入る前から不思議と数字には興味を持っていました。普段は友達と外で汗を流していましたが、家の中では1~100まで数字を書くことが遊びでした。トランプオセロも夫とよくやっていました。車に乗せると前を走っている車のナンバープレートの数字を覚えたり、並べ変えたり~、車の中に入れていた小銭を使って足したり引いたりしていました。算盤を習わせたことはなかったのですが、計算もいつしか早くなり、学校のテストの時など「みんなに答案用紙を配り終わるまでに、できたぁ、と言わない!」と担任の先生に言われるほど、さっさと答えを出していました。

 中学受験の際にも、算数が強かったことは大いにプラスになりました。言い換えれば、国語の学力はまったくの人並み(中学受験生のなかでは平均以下)で、本を読む習慣もなく、国語で点数を稼ぐことはありませんでした。だからこそ、算数で頑張らないと、と思っていたのかもしれません。

 N学園にはとんでもない天才少年がうようよいました。得意と思っていた自分の計算力をはるかに超す友達がいっぱいいました。そんな存在が刺激になりました。環境が意識を変えていくのでしょうね。「灘ってどんな学校なん?」と私に聞いてきたのも、周囲の者がみんな「灘を目指している」ので、自分もそこを目標にしたらいいのかな、と思ったのでしょう。結果はどうあれ、たくさんの友達ができて、その友達に追いつこうと努力するだけでも息子には随分プラスになりました。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

塾へのお迎え [長男中学受験]

 十三にあるN学園へ行くことに決めたのですが、大変だったのが息子を小学校へ迎えに行き、駅まで運ぶことでした。当初は息子が学校から帰ってくるのを家で待ち受けて、あるいは下校途中を車で拾って駅まで連れていっていました。おなかが減るだろうとおにぎりを作ったり、パンを買ったり。駅に着くまでに車の中で食べさせていました。

 が、いつしか息子とうまく会えなくなってきたのです。原因は放課後、息子が友達とドッヂボールやサッカーに夢中になり、約束の時間になっても学校を離れようとしなかったのです。「これではまずい」と思い、約束の時間前に校門の近くで待ち伏せすることにしました。これだと息子もギリギリまで遊べますし、私も会えるかどうか心配してイライラしなくてすみます。ただ気を使ったのは、車を止めて待つ位置でした。N学園に通っていることは知れていたのですが、大っぴらに「お迎えにきています。」という状況にはしたくなかったので。学校からそのまま車で駅に運び塾に行かせるのは、私の常識からは外れていることでした。(この何かおかしいという気持ちは今に至るまでずっと続くのですが~)

 N学園に入塾した時は確か下から二番目のクラスでした。その時N学園の進度は息子のはるか先に行っていました。息子は学校と同じ進度でしか漢字も勉強していなっかたので、それから大急ぎで六年生までに習う漢字を教えました。小さい時から算数というか、数字が大好きだったのですが、N学園の計算テストではみんなのスピードにびっくりしたようです。「僕が問題をやっと書いたときには隣りの席の子はもう解き終わっていた!」とショックを受けていました。でも常にプラス思考の負けず嫌いの性格と、誰とでも仲良くなれる性格が、N学園の方針にもうまく一致したのか、一ヶ月か二ヶ月に一度ある進級テストでも算数の点数はすぐにアップしていき、トップのクラスに入るまでそう時間はかかりませんでした。その頃でしょうか。息子が私に聞いたのです。「灘ってどこにあるの?」と。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

塾通い [長男中学受験]

 私は普通の女子大、夫は国立大学出身ですが、文科系だったこともあり、息子が京大の医学部へ行くなんて、小さいころは思いもよりませんでした。ただ、中学受験はさせたいと。私も主人も中学時代は運動をしていたこともあって、子供にも中学から部活をしてほしかった。ただ、大阪という環境では高校受験をするためには中学で塾に通わないと、いい高校に進めない、と感じていましたので、それなら中・高一貫のところに行かせて、少なくとも中学では運動クラブで頑張ってほしいといった願いがあったのです。

 当初、どの塾へ行かすかは深く考えませんでした。駅前にあるごくありふれた塾へ小学校四年から入れました。ところが、その塾の模擬試験でトップの成績を取ったのです。正直、欲も出ました。でも何より井の中の蛙になってほしくない、お山の大将にしたくないと思いました。そこで、四年の秋、有名中学へ数多く合格させていた十三のN学園へ通うことを決めました。

 何とか入塾テストは合格したものの、四年生の子供をひとりで電車にのせて塾に行かせるのはとても不安でした。いろんな意味で好奇心旺盛な子供だったので、電車も十三の町にも誘惑がいっぱいあるのでは~とまず、塾に着くまでを心配しました。

 私立中学受験用の幼児教育はもちろん何もしていませんし、途中からの入塾だったため、クラスのランクも相当下からのスタートでした。それでも親子共に受けたカルチャーシヨックも相当なものでした。その当時、私も夫も、まさか「灘」なんて考えてもなかったはずです。それがいつのまにか「灘」へ向かって歩きはじめていたようです。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児
長男中学受験 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。