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K大学医学部合格発表 [長女大学受験]

 受験から合格発表までの2週間はふわふわと掴み所のない時間でした。娘は一応、後期試験にむけて机に向かってはいたのですが、必死に頑張るという状態ではありません。特に落ち込んでいるでもなし、相変わらず前期入試のことに触れようとはしませんが、普通といえば普通に過ごしているように見えました。

 合格発表を娘は、息子(兄)と一緒に見に行きたかったようです。でも息子の都合がつかなくて、私はとてもそんな勇気はなくて、結局、インターネットでの発表を待つことになりました。発表の時間前にパソコンのページを開いて、そわそわ、ドキドキ~ 私はしなくてもいい洗い物をしたり、立ったり座ったり~まだかな、まだかなと~

 画面に合格者番号の一覧表が開示されました。でも、途中で切れていて・・・「右!右!」と叫んだような気がします。画面が右に動いて~「あった!」「あった!」「あった!」娘も私も泣きながら何度も何度も繰り返していました。それから、あちこちに合格の報告をしながら大慌てで用意をして、電車に乗りました。条件のいい下宿先(マンション)は、合格発表当日に直接行って申し込むのが一番と聞いていたので。

 2月の入試当日は、大阪と変わらなかったK市ですが、3月のこの日は雪に覆われていました。この町で、慣れない雪の中で、娘は一人6年間も暮らしていけるのかなと思うと合格の喜びとは違う涙がまた出てきて~。

 あれから2年半、娘はたくましくなりました。今の生活が本当に気に入っているようです。息子も研修医1年目を必死に、でも持ち前のプラス思考ですごく楽しんで過ごしている様子です。今まで子離れできなくてグズグズ言ってばかりだった私も、この日記をここまで進めてきて、何か少しだけ自分を見直す糸口をつかめたように思います。しばらくこのブログをお休みして、今度は夫や子供達がその時その時を本当はどう感じ、どう考えて過ごしていたのかを一緒に振り返りながら、改めて書き直してみたいと思っています。 ありがとうございました。
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いよいよ受験 [長女大学受験]

 よくわからないまま前期も後期もK大学医学部に出願しました。私立の医学部の試し受験もしたくないと言って、本当に本番だけの受験です。こうなって初めて、「落ちたらどうしよう」という心配が、「娘を手放すことになるかもしれない」という心配より大きくなってきました。決めたのがギリギリだったので下見に行く時間もなく受験前日になりました。

 乗る予定の電車が1時間半も遅れて出発するというアクシデントもあってホテルについてホッとしました。その日のうちに一度大学まで行ってみようと思っていたのですが、寒かったし疲れていたしで「まあいいか」ということになりました。夕食がすんで9時を回った頃、「眠たいから寝るわ」と娘が言いました。電車移動と受験前日の緊張で疲れたとしても、こんなに早く寝て、夜中に目が覚めてしまっては困ると思いましたが、結局10時頃には寝てしまいました。そして驚いたことに朝までぐっすり眠ったのです。「腹が据わっている」のか、ただ「鈍感」なだけなのか・・・

 受験当日は、流石に一度も行ったことのない大学ですから、行きは一緒にでかけましたが、帰りは駅で待ち合わせました。たいがい小さい時から、「できた」とか「できない」とか言わない子でした。この時もバスから降りてきて「う~ん、あんまり」と言ったきりでした。翌日の面接はうまくいったのか、いろいろ教えてくれたのですが・・・こうして発表までの2週間あまりを私は(おそらく娘は私よりはるかにもっと)本当に不安の中で過ごしました。

決断は一ヶ月前 [長女大学受験]

 娘は少しだけ肩の力の抜けた状態でセンター試験に臨みました。心配して、その頃毎日自宅に帰ってきてくれていた息子と一緒に自己採点をしました。結果はあまり・・・でも、前年に比べて平均点も下がっていたので、よく踏みとどまったというかんじでした。

 大変だったのはそこからです。自信を持って医学部を受験できるほどの点数ではないし、あきらめてしまうほど悪くもない。ただ本人は絶対に浪人はしたくないと思っていました。どこでもいいから医学部にと思いつめたようです。親としては、娘のその気持ちもわかります。でも18歳から何年間か過ごす生活の場所がどこでもいいはずがありません。夫も私も自宅から通える大学しか考えてなく、何とか学部を変えることを説得したのですが、聞く耳を持ちません。

 どんな話し合いの中でK大学医学部になったのかよくわかりません。土地柄とか、大阪からの距離などを考えて、勿論たくさんの先生方から助言もいただいて、やっとここならと思える大学がK大学でした。それでもやはり娘を手放すことになったらどうしようと悩む私たちも、「大丈夫、縁がなければ落ちるよ。」という息子の一言に納得せざるをえませんでした。それから願書を取り寄せホテルを予約するというあわただしさの中で本番を迎えました。
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高校3年生 [長女大学受験]

 高校3年生のときの模擬試験等の成績を、私はほとんど見せてもらっていません。2年生までは、まだ何とかなっていたのですが、周りの友達が本格的に勉強はじめてくると、みるみる下がっていったのだと思います。ですから娘も成績のことに触れてもらいたくないようでしたし、私も知ったからといってどうすることもできないので知らん顔でした。効率が悪い勉強の仕方だったのかもしれませんが、それも含めて娘のスタイルだから、今更変えることもできなかったのです。

 ただ、自分の娘ながら感心したのは、それでも投げ出さなかったことです。相変わらず黙々と勉強をしていました。春から夏をどんな思いで過ごしていたのか、よくイヤにならないものだと思いました。そろそろ志望校を決めなくてはいけない時期がきても、なかなかはっきり決められないようでした。娘が医学部に行きたいのは知っていましたが、夫も私も息子も反対でした。そんな中、この成績でどうしても医学部とは言えなかったのかもしれません。

 2学期の中頃の模擬試験で久しぶりに娘としては満足のいく成績がとれました。それでも、仲のいい友達の中では娘が最低でした。随分ショックだったようです。でもこれで「何かが吹っ切れた」と本人が振り返っています。確かに12月頃から少し生活に余裕が出てきました。一生懸命勉強はするのですが、それまでのギスギス、ガリガリが少しとれたような~。「負けたくない」という気持ちから、「頑張ってもできないこともある」「精一杯やったらそれでいい」と思えるようになったようです。このあたりのことは、随分あとになって、大学生になった娘と話したときに知ったことです。
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高校1、2年生 [長女大学受験]

 高校生になった娘は、学校とT会の両方で頑張ろうとしました。しかし、もともと器用ではないし、一つのことを理解するのに人一倍時間がかかります。今まではそれを努力でカバーしてきたのですが、それだけでは追いつかなくなっていきました。

 娘自身が意識してそうしたとはとても思えないのですが、いつの頃からか、中学校での優等生キャラを卒業して、駄目キャラに変わっていったらしいです。そうせざるを得なかったのかもしれません。といっても努力をやめたわけではありません。たぶん少しずつ本来の自分を見せはじめたのだと思います。以前なら頑張ってもできないことを隠したと思います。それを、頑張ってもできなかったことをオープンにできるようになったようです。当時の先生や友達に恵まれていたことも改めて感謝しています。

 T会では初めから悪戦苦闘の連続でした。日々の宿題は友達に教えてもらい、毎回のテストはとりあえず丸覚えをして凌いでいたようです。やってもやっても追いつかないどころか、益々わからなくなっていく状況でした。「塾を変えたら?」「自分にあう塾でないと意味がないよ!」と、私は何度も繰り返し説得しました。でも結局最後までT会をやめるとは言いませんでした。自分でこれと決めたことは見事なまでに譲らない。日頃はあまり自己主張をしたり言い張ったりすることのない娘ですが、こうなるとどうにもなりません。
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S中学の時の成績(2) [長女中学生活]

 中学生の時、娘はどうしてそんなに頑張ることができたのでしょうか?
中学1年生の最初の中間テストの前日、「お母さん英語の単語って覚えるの?」と聞いてきたことをおぼえています。そんな当たり前のことを今さらと思いつつ、その日は付きっ切りで一緒に勉強しました。最初の英語のテストですからせいぜい20~30個の単語と簡単な文章を少し覚えるだけです。まあ2時間もあれば大丈夫と私は思っていたのですが、娘は1つの単語を覚えるのに何分もかかるのです。結局、fourwindowは書けないで終わりました。このことがあったからか、毎日コツコツ、人の2倍も3倍も勉強しなければと自覚したようです。
 
 「見栄っ張りのカッコつけだから。」これは私が「毎日そんなにようやるね!なんでそんなに頑張れるの?」と中学生のときの娘に尋ねた答えです。先生の前では、いい子でいたい、優等生に見られたいと思っていたようです。(高校生になると随分かわっていくのですが。)だから勉強もテニスピアノも、休むことなく必死で頑張り通したそうです。褒めてもらえるのが嬉しくて頑張る。娘はまさに先生方に褒めて育てていただいた典型です。

 そしてその頑張りを支えたのが体力だったと思います。もともと丈夫な子供でした。その上に小さいときから身体を動かすことが大好きで、スイミング、新体操、テニス等の習い事を続けていたので、自然と体力がついていたようです。病院に行くのは予防接種の時だけというくらい、病気知らずの子供でした。
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S中学の時の成績 (1) [長女中学生活]

 話が前後しますが、中学3年間の娘の学校の成績はびっくりするほど良かったのです。もともと、コツコツと努力する子でしたが、中学生になってテニスを始めてからもそれは変わりませんでした。

 毎朝6時30分に家を出て、夜8時を過ぎて帰宅。まず9時までピアノの練習。(マンションなので管理規約で9時以降のピアノは禁止なのです。)次に食事と入浴で10時。それから学校の宿題やら予習、復習。寝るのは12時近くになっていたと思います。どんなに疲れていてもこの生活を本当に毎日、月曜日から土曜日まで繰り返すのです。日曜、祝祭日も朝からテニスに出かけて夜遅くに帰り、同じように頑張りました。夏休み等のお休みも。いったい一年間に何日休みがあったのかと今になって考えるくらいです。そして中間・期末テストとその前のクラブ活動のない日は、1分も無駄にしないように勉強していたと思います。当時の私は「早く寝なさい」と、そればかり繰り返して言っていました。勉強することや、ピアノを弾くことを強要したことはありませんでした。

 そういう状況でしたから、とりあえず学校の成績はトップクラスでした。でも実力となるとまた別問題です。しかもS中の進度はあまり早くなかったので娘にとってはよかったのですが、T会で勉強するには大変でした。娘自身はそこそこできると思っていたらしいので、T会での勉強に余計にショックを受けたようです。

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娘もT会へ [長女大学受験]

 すったもんだの末にS高校に進学した娘ですが、しばらくは本当に辛かったと思います。でも自分で決めたことだからと、テニスを吹っ切るためにも勉強中心の生活に変えていったようです。こんな精神状態の時に塾に行かせるのも心配だったのですが、息子とその友達がたくさんいて、何かと目を配ってくれるT会の環境をとても有難いと思い入会することになりました。

 S中学は女子校で、しかも中学時代の娘はテニスに熱中し、家と学校を往復するだけの生活でした。当然、男の子と出会う機会などなかったものと思います。ボーイフレンドができたらできたで心配ですが、いなければいないで心配です。早く楽しい高校生活が始まればいいなと思っていました。

 でもなかなか親の思うようにはいきません。T会は以前にも触れましたが、関西周辺の進学校の生徒が集まってくる塾で、灘高生をはじめ優秀な生徒がたくさんいて勉強の進度も無茶苦茶早い塾です。高校1年生で新入会した娘は英語も数学も知らないことばかり。宿題をしようにも手も足も出ない。そんな状態でした。男の子との出会いもあって楽しい高校生活なんてとんでもなかったようです。あまりにかわいそうで、私は頃合いをみて違う塾に変えようと考え、何度もそう説得しました。しかし、娘は「ここで逃げ出したくない。今T会をやめたら何のためにテニスをあきらめたのかわからなくなる。」と懸命の努力を始めたのです。
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娘の決心 [長女大学受験]

 高校でテニスをどうするか、娘にとって大きな悩みでした。受験コースにいて今までと同じようにテニスをすることは、娘にはできない相談でした。自分はまだ授業があるのに、特技コースの友達はもう練習している。あるいは、自分は終わりにして帰宅するのに、特技コースの友達はまだテニスの練習を続けている。そんなことはどうにも我慢できないと思ったようです。だからといってソフトテニス部をやめてしまうのも辛くて~。

 どうしたらいいのか娘もわからなくて、泣いてばかりの日が何日か続きました。夫と私は、あまり自分の内面を見せない娘の様子をハラハラしながら見ていました。後で知ったことですが、何度も顧問のN先生には相談していたそうです。そして息子もアドバイスをしてくれました。おろおろする親と違って、いたって冷静に、「将来どうするつもりなの?」と。

 娘の出した結論は「テニスはやめる。勉強する。」でした。長い間悩みましたが、一度決心するともう「テニスをやりたい」とは決して言いませんでした。そして気分転換のつもりで、息子が通っていた「T会」という塾にはいりました。実はその頃、息子はそこで講師アルバイトをさせてもらっていて、娘に「いろんな生徒がいるよ」と声をかけてくれたのです。
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中学から高校へ [長女中学生活]

 テニスにのめりこんだ中学生時代、顧問のN先生の指導と仲間にも恵まれ、本人の努力の甲斐もあって、ソフトテニスでは大阪府でもそこそこの成績を残し、近畿大会に出場することができました。そしてその秋(中学3年)、娘はどこからか、N先生がS中を辞められてソフトテニスの強い学校にかわられると聞いてきました。こればかりは付いていくわけにはいかず、S高校に上がったらテニスはどうしようかと迷っていたようです。

 ところが年が明けて、今度は、N先生がS高校(S中と同じ)に残られて、ソフトテニス部が特技コースになるという話を聞きつけてきました。娘は一応受験コースにいたのですが、それなら特技コースに移りたいと考えたようです。さあどうしたものか、私も本気で悩みました。この時、息子は京大に通っていました。どんなに頑張っても娘にそんな能力はないし、私も望んではいませんでした。好きなことを思い切りさせてやりたい気持ちもありました。が、問題は帰宅時間のことです。もし特技コースでテニスをすると家に帰るのが、毎日夜の10時、11時になるはずです。それは親としてどうしても許可できないことでした。

 N先生からは今まで同様、受験コースにいてテニスを続けてはという折衷案をいただきました。(その時はそれも可能だったようです。)そして娘には「高校に行ってもテニスを続けないか。インターハイに行こう。」と。15歳の女の子にとって、この言葉はさぞ嬉しかったことでしょう。しかしさらに悩みを深いものにしたことも確かでした。
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テニスに夢中 [長女中学生活]

 息子同様、娘も中学に入学すると同時にクラブ活動を始めました。ソフトテニス部です。本当は習っていた硬式テニスを続けたかったのですが、S中に硬式テニス部はありませんでした。高校総体でも活躍する硬式テニス部は、高校の特技コースとしてのみあるのでした。でもこのソフトテニス部に入ったことが娘の今後を変えたといっても言い過ぎではないと思います。

 コツコツと積み上げていく性格と、尊敬できる顧問のN先生に出会えたことで、娘は中学時代、ソフトテニスにのめりこんでいきました。朝6時半に家を出て、8時半に帰宅するそんな毎日でした。土曜日も日曜日も、夏休みもほとんどなく~。運動神経は悪くなかったようですが、器用ではない娘はテニスでもN先生の指導のもと、ただ黙々と練習を続けたようです。N先生に認められたいという思いが上達を早めたのかもしれません。小さい時から、結果でなく努力を認めてくれる先生が、娘は大好きでした。

 おかげで顔は真っ黒、身長もかなり高かったので、ジャージを着ていると男の子だか女の子だかわからないほどでした。通学の電車ではつい居眠りをしてしまい、寝過ごしたこともたびたびです。それもびっくりするほど遠くまで乗り過ごしていました。お弁当も2時間目が終わったころにはなくなっていたようです。お腹がすいてということもあったでしょうが、昼練をするために、お昼休みはあけておく必要があったのです。それほどテニスに熱中した中学時代ですが、このことが高校進学直前に大問題を引き起こすのです・・・。
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志望中学は? [長女中学受験]

 学年が上がるにつれて、男の子が台頭してきましたが、娘は何とかトップのクラスを維持できました。いよいよ入試、女子では男子校の灘中へは行けません(勿論能力的にも無理でしたが)。関西で有名大学への進学率が高かったのはK学院でした。塾の先生方も子供たちにK学院を勧めていて、娘もK学院を目指していたようです。でも私はもう一つ乗り気ではありませんでした。

 K学院は、環境もよく本当に素晴らしい学校と聞いています。でも我が家は普通のサラリーマン家庭。裕福な家庭のお譲さんが集まってくるK学院には制服はないと知っていました。娘は服装とかおしゃれにとても興味がありました。「今日は何を着ていったらいいのか」と周囲の目を気にする毎日は大変だろうと、そんな取り越し苦労を私が勝手にしていたのかもしれません。でも最終的に志望校を決めたのは娘でした。6年生の秋に初めて行った、塾の西宮教室のK学院特訓で、本人が「ここは自分の雰囲気と違う」と感じたらしく、第一志望校をS中学と決めました。S中は制服でしたので、服装に気を使う必要がまったくなく、ほっとしたのを覚えています。

 受験した中学は腕試しを含めて四つ。第一志望校の合格発表には夫が娘についていってくれました。息子と違って「できた」とか「できなかった」とか言わないタイプなので、連絡を待っている間も本当に不安でした。だから「お母さん、通った!」の声がどんなに嬉しかったことか。

塾への行き帰り [長女中学受験]

 息子と違って心配だったのが、塾への行き帰りでした。4年生にしては大柄だった娘は見方によっては中学生や高校生に間違われます。塾までは最寄の駅から二駅だったのですが、「絶対に電車で座っちゃダメよ」と言い聞かせました。スカートのことも多かったので、お行儀の悪い座り方が心配でした。始めの頃は勿論、塾まで付いて行って、また塾まで迎えに行ったのですが、いつまでもそうすることはできませんでした。一人のときは、駅から塾までも絶対に立ち止まらないようにとか、塾に着くと電話をするようにとか、いろいろな約束をしていました。

 塾の帰りは塾の先生か事務の方が駅まで送り届けてくれました。当然ですが、家の近くの駅までは必ず迎えに行きました。休みの時は夫が。

 過保護だとも思われるかもしれません。息子の時はそうでなかったことも、娘のときは心配で。下の子はいつまでたっても小さいという思いがあるせいか、一から十まで世話をやきたくなってしまいます。私の毎日は、娘の習い事の付き添いと送り迎えで終わっていたような気がします。そんな娘をなぜか地方の大学へやってしまったのか、今も時に複雑な心境になります。
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ミーハーな娘 [長女幼少のころ]

 前回、娘はとても根気強い努力家と書いたのですが、それはいわゆる真面目とはちょっと違います。たくさんの習い事からもわかるように、身体を動かすことが大好きでした。たぶん運動神経は息子よりよかったと思います。3歳位のころ「お魚」になりたいと言ったくらい泳ぐことが好きだったし、踊ることも歌うことも大好きなミーハー娘です。

 カラオケデビューも早かったです。私は歌うことが苦手なので、夫が近所のカラオケによく連れて行きました。娘も喜んで出かけました。元々子供好きの夫は、娘とのこのデートがとても気に入っていたようです。勿論家族4人で行くこともよくありました。ボーリングをしてカラオケ、あるいは食事をしてカラオケというコースは、今でも家族が揃うとよくあることです。

 こうして娘と父親の関係はすごく良好です。小学1、2年の頃は作文の練習もかねて、夜の遅い父親と交換日記をしていました。一番難しい年頃の中学時代、夫は単身赴任だったので、適当な距離をとりながら電話やメールをして過ごしました。そして大学生の今は夫の気持ちを察して、たびたびメールを送ってくれます。
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こつこつと努力家 [長女中学受験]

 私立中学を目指した娘ですが「私はお兄ちゃんと違ってアホやから」と本人も自覚するほど、息子とはちょっと、いいえかなり能力差があったようです。特に算数で顕著でした。息子なら一度ですっと飲み込める問題も、娘は「何でそうなるの?」と理解するまでに相当な時間を要しました。

 ただ、息子よりも優れていたのは根気強さでした。時間はかかっても分かるまで粘り強く問題に取り組む姿勢は息子以上でした。言い換えれば愚図なのもしれませんが、こっちが「もう(勉強を)止めなさい」と言うまでペンを置きませんでした。当然、予習、復習を欠かすことはありません。小さい時から毎日、本当に欠かすことなく毎日ピアノを弾き、柔軟体操を続けてきたことがこんなところで役に立ったように思います。

 ですから、入塾当初からトップのクラスをどうにか維持できました。ピアノやテニス、新体操、スイミングなど習い事も続けていたため、スケジュールはビッシリ詰まっていましたが、本人は苦にはならなかったようです。私が大変だったのは、塾の勉強に長く付き合わされたことと、習い事と塾の送り迎えでした。このことはいずれ触れたいと思います。
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迷った塾の選択 [長女中学受験]

 五つ違いの娘には、楽しい学生生活さえ送れれば何も望まない。夫の考えも同じで、国立大学へ行かせたいとか医学部へ入れたいという考えなどまったくありませんでした。そのかわりに本人の望む習い事は、小さい時から何でもさせました。幼稚園の時から、スイミングに新体操、テニス、習字にも通わせたし、ピアノもすごく楽しんで習っていました。ごくごく普通の女の子に育てていたつもりです。

 本人も「私は兄ちゃんのようにはならない。塾なんて絶対に行かない。」と言っていました。ところが、4年生の6月頃になって突然「私もお兄ちゃんみたいに塾へ行きたい。」と言い出したのです。どういう心境の変化があったのかよくわからなくて、少々驚きましたが、娘だけ塾へ行かせないわけにはいきません。問題はどの塾を選択するかでした。息子の通ったN学園は能力的に無理と思いました。そこで私は電車で二駅までにある四つの塾に絞り、足を運んで雰囲気を確かめました。

 結局決めたのはN研でした。決め手になったのは面接へ行ったときの先生の印象です。おっとりと包容力のある性格が娘にピッタリだと感じたのです。(今でも娘はこの先生に時々会いに行っています。)2学期からの入塾だったので、どのクラスに入れるかが問題でした。夏休み中、早めに夏期テキストをもらって、それを何度も繰り返し勉強して、夏の終わりのテストで、何とかトップのクラス(と言っても2つしかなかったのですが)に入れました。こうして娘の塾通いが始まったのですが、息子と違って、娘は今までの習い事も続けると言い張りました。
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娘も医学部に [長女大学受験]

 ずっと息子の話をしてきましたが、ここらで娘にも触れていきたいと思います。今、娘は地方都市にある国立大学の医学部へ通っています。夫は「遠くへやる気などなかったのに」と今もって悔やんでいますし、私も考えてもなかったことでなかなか子離れができないでいます。

 女の子を家から出すと、本当にお金がかかります。下宿するマンションを借りるにしても、少しでも安全なところ、きれいなところと思いますし、生活費の心配をさせては可哀想とか~。下の子だからついつい甘くなってしまいます。家庭教師はしているのですが、それは自分のほんのお小遣いにしかならないようです。いつまでも心配でメールのやりとりは毎日欠かしていませんが、娘の方からの電話は、一応申し訳なさそうに「教科書代が要るの」とか「合宿に行くの」とかということが多いようです。

 でも、きっと充実した日々なのでしょう。「帰りたいけど忙しくて~」と言ってなかなか帰ってきません。娘は「今が一番幸せ」というくらい現在の生活に満足しています。私達の反対を押し切って家を離れる選択をしたことも間違ってはいなかった、と思っているはずです。息子と比べてはるかに「頭がよくなかった」娘がなぜ医学部へ行けたのか、その点を綴っていきたいと思います。
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再び塾に [長男中学生活]

 中学時代、塾へ行かせなかったこともあり、灘中学での長男にはしっかりと自分の時間があったと思います。元来、遊び好きで運動好き、そして何にでも一生懸命になります。小さい頃にはビックリマンシールにはまりました。ドラゴンボールに及んでは、研修生になった今なおグッズを集めているほどです。バスケット部でもキャプテンを務め、弱いなりにもチームを強くしようと必死でした。そうそう一時はバンドを組んで、息子はドラムにも夢中になりました。中学校2年生から高校2年生くらいの間だったように思います。地元の小学校時代の友達と小さなライブハウスで演奏したり、灘の文化祭にも灘の友達と出演したりしていました。

 それなりに充実した中学生ライフだったでしょう。でも彼女とよべる女友達はいなかったようです。それを息子は男子校のせいだと思ったのか、塾に行ったらたくさんの出会いがあると友達から聞かされたようです。自分に都合のよい理由を並べて、渋っていた私を説き伏せ、高校1年生になってしばらくしたころ、再び塾へ行くことになりました。選んだのは梅田のT会、東京に本部がある塾ですが、関西でも有名校の生徒がたくさん集まってきていました。塾にいく動機は少々不純でしたが、T会は息子に、灘以外のまた新しい世界を教えてくれました。他校の友達も増え、物の考え方にも幅がでてきたと思います。勿論たくさんの女の子と知り合うこともできて、楽しい塾の生活が始まったようです。
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お弁当 [長男中学生活]

 灘校に給食はなかったので、中学生の頃は毎日お弁当を作りました。中身は本人の好きなものばかり。お弁当箱を開いて、嫌いなものがあったら気分が乗ってこないでしょ。と言うと、常識あるお母様たちからお叱りをうけそうですが、私自身バランスよりも好物を入れてほしいタイプだったし、息子はなぜか小さいときから練り製品が苦手でした。ハムとか竹輪、ウインナーも嫌いです。海老、烏賊、凧とかもダメでした。そのかわりお肉と野菜は好物でした。ですから、好きなものでお弁当の中身をいっぱいにするのは、実は大変だったのです。

 バスケットの朝練に行くため7時前には家を出ていましたが、朝食は必ず食べさせました。というより、朝からしっかり食べたがりました。帰ってくるのは午後7時~8時頃でした。夕食も無理やり嫌いなものを食べさせることはしませんでしたから、よく食べました。テレビが大好きでテレビを見ながらの食事でした。それからお風呂に入り、勉強を始めるのは10時近くなっていたように思います。

 とはいっても、試験がないと長い間机に向かう子ではありませんでした。言い換えれば、試験前は徹夜も厭いませんでした。学校まで遠かったので、少しでも寝ないとダメとよく叱っていました。記憶力はよかった方で、苦手な社会や国語は勉強するというより丸ごと覚えてしまうという感じでした。「試験が終わったら、すべて忘れるのがおれの特技」と本人も言うくらいその場しのぎの勉強でした。
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おぼっちゃま [長男中学受験]

 灘中学に受かったのはよかったのですが、一つ問題がありました。息子の体型です。食べることしか楽しみがなかったのか、前々回に書いた「ママには内緒」のためか、受験までにブクブク太ってしまいました。眼鏡もかけていたこともあって見るからに「おぼっちゃま」のように映りました。当時の写真を今見ると、あまりのカッコ悪さに笑ってしまいます。

 これじゃ、とても女の子にモテません。以前触れたことがありましたが、中学生のうちはしっかり身体を作ってほしい、というのが私と夫の願いでもありました。二人とも中学生の時にスポーツに没頭した経験からも、息子にも運動をしてほしかった。息子本人は、かっこよくなって女の子にモテタイというのが一番の理由だったのかもしれませんが、とにかく痩せるためには運動する必要がありました。

 息子が選んだ部活動はバスケットでした。夫も私もバスケットをしていたので、やっぱり親子だなあと喜んだものです。が、そうではなくて、小学校のとき、友達がみんな放課後ミニバスをしていてとても羨ましかったと。だから中学校に入ったら自分もバスケットをしようと決めていたと。中学受験はこんなところにも影響していたのだと知りました。そんな思いを抱えていたからか、本当に一生懸命にやっていました。チームもあまり強くなかったし、息子もたいして上手くなかったようですが、朝練に早くから出かけたり、夏休みの合宿が何日もあったりと高校生になっても頑張っていました。そして、とりあえず標準の体型には戻ることができました。
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