So-net無料ブログ作成

いよいよ受験 [長女大学受験]

 よくわからないまま前期も後期もK大学医学部に出願しました。私立の医学部の試し受験もしたくないと言って、本当に本番だけの受験です。こうなって初めて、「落ちたらどうしよう」という心配が、「娘を手放すことになるかもしれない」という心配より大きくなってきました。決めたのがギリギリだったので下見に行く時間もなく受験前日になりました。

 乗る予定の電車が1時間半も遅れて出発するというアクシデントもあってホテルについてホッとしました。その日のうちに一度大学まで行ってみようと思っていたのですが、寒かったし疲れていたしで「まあいいか」ということになりました。夕食がすんで9時を回った頃、「眠たいから寝るわ」と娘が言いました。電車移動と受験前日の緊張で疲れたとしても、こんなに早く寝て、夜中に目が覚めてしまっては困ると思いましたが、結局10時頃には寝てしまいました。そして驚いたことに朝までぐっすり眠ったのです。「腹が据わっている」のか、ただ「鈍感」なだけなのか・・・

 受験当日は、流石に一度も行ったことのない大学ですから、行きは一緒にでかけましたが、帰りは駅で待ち合わせました。たいがい小さい時から、「できた」とか「できない」とか言わない子でした。この時もバスから降りてきて「う~ん、あんまり」と言ったきりでした。翌日の面接はうまくいったのか、いろいろ教えてくれたのですが・・・こうして発表までの2週間あまりを私は(おそらく娘は私よりはるかにもっと)本当に不安の中で過ごしました。

決断は一ヶ月前 [長女大学受験]

 娘は少しだけ肩の力の抜けた状態でセンター試験に臨みました。心配して、その頃毎日自宅に帰ってきてくれていた息子と一緒に自己採点をしました。結果はあまり・・・でも、前年に比べて平均点も下がっていたので、よく踏みとどまったというかんじでした。

 大変だったのはそこからです。自信を持って医学部を受験できるほどの点数ではないし、あきらめてしまうほど悪くもない。ただ本人は絶対に浪人はしたくないと思っていました。どこでもいいから医学部にと思いつめたようです。親としては、娘のその気持ちもわかります。でも18歳から何年間か過ごす生活の場所がどこでもいいはずがありません。夫も私も自宅から通える大学しか考えてなく、何とか学部を変えることを説得したのですが、聞く耳を持ちません。

 どんな話し合いの中でK大学医学部になったのかよくわかりません。土地柄とか、大阪からの距離などを考えて、勿論たくさんの先生方から助言もいただいて、やっとここならと思える大学がK大学でした。それでもやはり娘を手放すことになったらどうしようと悩む私たちも、「大丈夫、縁がなければ落ちるよ。」という息子の一言に納得せざるをえませんでした。それから願書を取り寄せ、ホテルを予約するというあわただしさの中で本番を迎えました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

高校3年生 [長女大学受験]

 高校3年生のときの模擬試験等の成績を、私はほとんど見せてもらっていません。2年生までは、まだ何とかなっていたのですが、周りの友達が本格的に勉強をはじめてくると、みるみる下がっていったのだと思います。ですから娘も成績のことに触れてもらいたくないようでしたし、私も知ったからといってどうすることもできないので知らん顔でした。効率が悪い勉強の仕方だったのかもしれませんが、それも含めて娘のスタイルだから、今更変えることもできなかったのです。

 ただ、自分の娘ながら感心したのは、それでも投げ出さなかったことです。相変わらず黙々と勉強をしていました。春から夏をどんな思いで過ごしていたのか、よくイヤにならないものだと思いました。そろそろ志望校を決めなくてはいけない時期がきても、なかなかはっきり決められないようでした。娘が医学部に行きたいのは知っていましたが、夫も私も息子も反対でした。そんな中、この成績でどうしても医学部とは言えなかったのかもしれません。

 2学期の中頃の模擬試験で久しぶりに娘としては満足のいく成績がとれました。それでも、仲のいい友達の中では娘が最低でした。随分ショックだったようです。でもこれで「何かが吹っ切れた」と本人が振り返っています。確かに12月頃から少し生活に余裕が出てきました。一生懸命勉強はするのですが、それまでのギスギス、ガリガリが少しとれたような~。「負けたくない」という気持ちから、「頑張ってもできないこともある」「精一杯やったらそれでいい」と思えるようになったようです。このあたりのことは、随分あとになって、大学生になった娘と話したときに知ったことです。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

高校1、2年生 [長女大学受験]

 高校生になった娘は、学校とT会の両方で頑張ろうとしました。しかし、もともと器用ではないし、一つのことを理解するのに人一倍時間がかかります。今まではそれを努力でカバーしてきたのですが、それだけでは追いつかなくなっていきました。

 娘自身が意識してそうしたとはとても思えないのですが、いつの頃からか、中学校での優等生キャラを卒業して、駄目キャラに変わっていったらしいです。そうせざるを得なかったのかもしれません。といっても努力をやめたわけではありません。たぶん少しずつ本来の自分を見せはじめたのだと思います。以前なら頑張ってもできないことを隠したと思います。それを、頑張ってもできなかったことをオープンにできるようになったようです。当時の先生や友達に恵まれていたことも改めて感謝しています。

 T会では初めから悪戦苦闘の連続でした。日々の宿題は友達に教えてもらい、毎回のテストはとりあえず丸覚えをして凌いでいたようです。やってもやっても追いつかないどころか、益々わからなくなっていく状況でした。「塾を変えたら?」「自分にあう塾でないと意味がないよ!」と、私は何度も繰り返し説得しました。でも結局最後までT会をやめるとは言いませんでした。自分でこれと決めたことは見事なまでに譲らない。日頃はあまり自己主張をしたり言い張ったりすることのない娘ですが、こうなるとどうにもなりません。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

S中学の時の成績(2) [長女中学生活]

 中学生の時、娘はどうしてそんなに頑張ることができたのでしょうか?
中学1年生の最初の中間テストの前日、「お母さん、英語の単語って覚えるの?」と聞いてきたことをおぼえています。そんな当たり前のことを今さらと思いつつ、その日は付きっ切りで一緒に勉強しました。最初の英語のテストですからせいぜい20~30個の単語と簡単な文章を少し覚えるだけです。まあ2時間もあれば大丈夫と私は思っていたのですが、娘は1つの単語を覚えるのに何分もかかるのです。結局、fourとwindowは書けないで終わりました。このことがあったからか、毎日コツコツ、人の2倍も3倍も勉強しなければと自覚したようです。
 
 「見栄っ張りのカッコつけだから。」これは私が「毎日そんなにようやるね!なんでそんなに頑張れるの?」と中学生のときの娘に尋ねた答えです。先生の前では、いい子でいたい、優等生に見られたいと思っていたようです。(高校生になると随分かわっていくのですが。)だから勉強もテニスもピアノも、休むことなく必死で頑張り通したそうです。褒めてもらえるのが嬉しくて頑張る。娘はまさに先生方に褒めて育てていただいた典型です。

 そしてその頑張りを支えたのが体力だったと思います。もともと丈夫な子供でした。その上に小さいときから身体を動かすことが大好きで、スイミング、新体操、テニス等の習い事を続けていたので、自然と体力がついていたようです。病院に行くのは予防接種の時だけというくらい、病気知らずの子供でした。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

S中学の時の成績 (1) [長女中学生活]

 話が前後しますが、中学3年間の娘の学校の成績はびっくりするほど良かったのです。もともと、コツコツと努力する子でしたが、中学生になってテニスを始めてからもそれは変わりませんでした。

 毎朝6時30分に家を出て、夜8時を過ぎて帰宅。まず9時までピアノの練習。(マンションなので管理規約で9時以降のピアノは禁止なのです。)次に食事と入浴で10時。それから学校の宿題やら予習、復習。寝るのは12時近くになっていたと思います。どんなに疲れていてもこの生活を本当に毎日、月曜日から土曜日まで繰り返すのです。日曜、祝祭日も朝からテニスに出かけて夜遅くに帰り、同じように頑張りました。夏休み等のお休みも。いったい一年間に何日休みがあったのかと今になって考えるくらいです。そして中間・期末テストとその前のクラブ活動のない日は、1分も無駄にしないように勉強していたと思います。当時の私は「早く寝なさい」と、そればかり繰り返して言っていました。勉強することや、ピアノを弾くことを強要したことはありませんでした。

 そういう状況でしたから、とりあえず学校の成績はトップクラスでした。でも実力となるとまた別問題です。しかもS中の進度はあまり早くなかったので娘にとってはよかったのですが、T会で勉強するには大変でした。娘自身はそこそこできると思っていたらしいので、T会での勉強に余計にショックを受けたようです。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

娘もT会へ [長女大学受験]

 すったもんだの末にS高校に進学した娘ですが、しばらくは本当に辛かったと思います。でも自分で決めたことだからと、テニスを吹っ切るためにも勉強中心の生活に変えていったようです。こんな精神状態の時に塾に行かせるのも心配だったのですが、息子とその友達がたくさんいて、何かと目を配ってくれるT会の環境をとても有難いと思い入会することになりました。

 S中学は女子校で、しかも中学時代の娘はテニスに熱中し、家と学校を往復するだけの生活でした。当然、男の子と出会う機会などなかったものと思います。ボーイフレンドができたらできたで心配ですが、いなければいないで心配です。早く楽しい高校生活が始まればいいなと思っていました。

 でもなかなか親の思うようにはいきません。T会は以前にも触れましたが、関西周辺の進学校の生徒が集まってくる塾で、灘高生をはじめ優秀な生徒がたくさんいて勉強の進度も無茶苦茶早い塾です。高校1年生で新入会した娘は英語も数学も知らないことばかり。宿題をしようにも手も足も出ない。そんな状態でした。男の子との出会いもあって楽しい高校生活なんてとんでもなかったようです。あまりにかわいそうで、私は頃合いをみて違う塾に変えようと考え、何度もそう説得しました。しかし、娘は「ここで逃げ出したくない。今T会をやめたら何のためにテニスをあきらめたのかわからなくなる。」と懸命の努力を始めたのです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

娘の決心 [長女大学受験]

 高校でテニスをどうするか、娘にとって大きな悩みでした。受験コースにいて今までと同じようにテニスをすることは、娘にはできない相談でした。自分はまだ授業があるのに、特技コースの友達はもう練習している。あるいは、自分は終わりにして帰宅するのに、特技コースの友達はまだテニスの練習を続けている。そんなことはどうにも我慢できないと思ったようです。だからといってソフトテニス部をやめてしまうのも辛くて~。

 どうしたらいいのか娘もわからなくて、泣いてばかりの日が何日か続きました。夫と私は、あまり自分の内面を見せない娘の様子をハラハラしながら見ていました。後で知ったことですが、何度も顧問のN先生には相談していたそうです。そして息子もアドバイスをしてくれました。おろおろする親と違って、いたって冷静に、「将来どうするつもりなの?」と。

 娘の出した結論は「テニスはやめる。勉強する。」でした。長い間悩みましたが、一度決心するともう「テニスをやりたい」とは決して言いませんでした。そして気分転換のつもりで、息子が通っていた「T会」という塾にはいりました。実はその頃、息子はそこで講師のアルバイトをさせてもらっていて、娘に「いろんな生徒がいるよ」と声をかけてくれたのです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

中学から高校へ [長女中学生活]

 テニスにのめりこんだ中学生時代、顧問のN先生の指導と仲間にも恵まれ、本人の努力の甲斐もあって、ソフトテニスでは大阪府でもそこそこの成績を残し、近畿大会に出場することができました。そしてその秋(中学3年)、娘はどこからか、N先生がS中を辞められてソフトテニスの強い学校にかわられると聞いてきました。こればかりは付いていくわけにはいかず、S高校に上がったらテニスはどうしようかと迷っていたようです。

 ところが年が明けて、今度は、N先生がS高校(S中と同じ)に残られて、ソフトテニス部が特技コースになるという話を聞きつけてきました。娘は一応受験コースにいたのですが、それなら特技コースに移りたいと考えたようです。さあどうしたものか、私も本気で悩みました。この時、息子は京大に通っていました。どんなに頑張っても娘にそんな能力はないし、私も望んではいませんでした。好きなことを思い切りさせてやりたい気持ちもありました。が、問題は帰宅時間のことです。もし特技コースでテニスをすると家に帰るのが、毎日夜の10時、11時になるはずです。それは親としてどうしても許可できないことでした。

 N先生からは今まで同様、受験コースにいてテニスを続けてはという折衷案をいただきました。(その時はそれも可能だったようです。)そして娘には「高校に行ってもテニスを続けないか。インターハイに行こう。」と。15歳の女の子にとって、この言葉はさぞ嬉しかったことでしょう。しかしさらに悩みを深いものにしたことも確かでした。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。